2012年08月25日

ジョンとメリー

三男が今受験戦争の真っ只中にいる。
その頃の僕はフォークソングと映画に夢中だった。
ある日、ノート全面に「たくろう、たくろう、たくろう・・・・・・・」と書いてあったのを姉が見つけ、
それを僕の大好きな歌手の名前とは考えず両親に告げ口をした。
誤解が解けるまで、家族からまるで腫れ物をさわるかのように扱われることになる。

そんな日々のなかで観たのが『ジョンとメリー』だ。リバイバル上映だった。
ジョン(D・ホフマン)は酒場でメリー(M・ファーロー)と出会い、自分のアパートで一夜を共にする。
それぞれの過去の恋物語がフラッシュバックで挿入され、二人のぎこちない会話と錯綜する。やがて雨が降り出し、メリーは帰って行く。
しばらくすると、ジョンは思い立ったように彼女のあとを追いかける。立ち寄りそうな場所を探してまわるが、見つからない。
疲れ果ててアパートに戻ると、笑顔のメリーが待っていた。そこで二人は始めて名乗り合う。
『僕はジョンだ。』 
『私はメリーよ。』
素敵なラストシーンだ。
     
「んな、アホな!もっと早う名前聞くやろ、ふつう!」と当時の僕はツッコミを入れたが、都会的でお洒落な会話・ファッション・料理・インテリアに圧倒されていた。
特にジョンのアパートは魅力的で、リビングの上に15、6畳程の中2階があり、グラッフィックデザイナーである彼の仕事場になっている。それらはラセン階段で繋がっていて、これがまたカッコ良いのだ。(僕がラセン階段を好きなのはこの映画の影響かもしれない。)
独立したらこんな仕事場にしようと永い間心に秘めていたが、未だ実現出来ずにいる。人生とはうまくいかないものだ、全く。

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『卒業』で大成功を収めたD・ホフマンの主演第2作目。




posted by @せ at 13:17| Comment(0) | 映画だっ! | 更新情報をチェックする

2012年08月24日

玄関を考える

玄関の適正な広さはどれくらいかと質問を受けることがある。
一概に答えるのは困難だが、40~50坪くらいの家であれば1坪ぐらいだろうか。
ただこれはあくまで目安であって、それを下廻ってもデザイン次第で狭さを克服することは可能だ。

また玄関をただの靴脱ぎの場所として限定せず、別の役割を持たせることもある。
ご主人の趣味である美術品の展示室と兼ねた例がそれである。
つまり住宅という限られた空間をいかに使いきるか、ということだと思う。
他の機能と併用することで、思いもかけなかった生活を発見するかも知れない。
新たな景色が出現するかも知れない。
単一の機能しかないスペースが増えれば増えるほど、住宅は窮屈になって行くと思う。

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美術品の展示室と兼ねた玄関スペース。ハイサイドライトで採光している。

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プランニングの制約上1畳の広さとなった玄関。ガラス張りにすることで圧迫感を軽減している。

posted by @せ at 17:29| Comment(0) | 住宅設計あれこれ | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

蒲田行進曲

封切られたのは大阪に住んでいた頃だから30年ほど前になる。
当時付き合っていた女性との初デートにこの映画を選んだ。
上映のブザーが鳴り始めた時、明らかにヤバイ系の二人組がガヤガヤと入って来て、こともあろうに僕の横に座った。
映画が始まっても大声で話している。
“注意をしたら?”と彼女が目で僕に迫ってくる。
“そんなこと出来る訳ないやん!”と目で返事する。
でもやがて彼らは静かになり、映画に引き込まれていく様子だった。

東映の看板スター銀ちゃんは、子分にしている大部屋のヤスに自分の女・小夏を押しつける。妊娠したので面倒臭くなったのだ。それでもヤスは献身的に銀ちゃんと小夏につくす。それがなんとも滑稽で悲しい。
クライマックスの階段落ちは日本映画史に残る感動的なシーンだ。

エンドロールが終わり場内が明るくなると隣の会話が聞こえてきた。
『お前、なに泣いてんねん?』
『すんまへん、アニキ。ワシあきまへんねん、こうゆうん。』
『アホちゃうか!こんなんで泣きな!』
そういうアニキも鼻声だった。もちろん僕も泣いていた。

怖~いお兄さん方をも黙らせる深作監督の演出力に脱帽。

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この作品で松竹は東映から深作監督と撮影所を借り、東映はその見返りに『青春の門 筑豊篇』で松坂慶子をキャスティングしている。

posted by @せ at 12:09| Comment(0) | 映画だっ! | 更新情報をチェックする