2012年10月08日

扉はどちらに開けるのか


別れた男が入らないよう、女が泣きながら背中でドアを押し返しすというような映画のシーンに
よく出会う。
このように、欧米ではプライバシーを守るために内開きが多いようだ。

日本では、扉をどちらに開けるかはその部屋の用途に関係してくる。

玄関扉の場合だと、内開きにすると玄関が狭いので靴を引き摺る可能性がある。
また雨仕舞いという観点からも、外開きが多い。

一般室の場合は内開きでも構わないが、最近のバリアフリーの観点からすれば、
引戸が良いだろう。
内開きの場合、手前に体をかわす空間がなければ一度下がって開く動作に入る。
これがお年寄りには苦痛を伴うことになる。

便所の扉は引戸か、外開き、または引込み戸になる。
もし中で倒れるとドアを開けることが出来ないので内開きは止めた方が良い。

扉のデザインはコストにも関係し、また空間の質も左右するので、扉の開け方は総合的に
考えることが必要だ。

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正面の引戸の奥は土間になっていて、玄関から庭へと通じている。

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外開きの便所。

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引込み戸の便所。扉の真ん中が折れるようになっていて、スペースをとらないで済む。

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ユーティリティの扉を引戸とした。






posted by @せ at 21:34| Comment(0) | 住宅設計あれこれ | 更新情報をチェックする

ベニスに死す


貴族出身ということもあって、L・ヴィスコンティはその栄光と没落を執拗に描き続けた。
僕にはその作風が冗長で退屈でしかなかった。『ベニスに死す』を観るまでは。

静養のためベニスを訪れた老作曲家アッシェンバッハは、その道中で出会った少年・タジオに
理想の美を見出す。
芸術とは、論理に裏打ちされた知性によるものだと彼は考えている。
しかし、その美しい少年に理屈を超えた愛情を抱いてしまう。
髪を染め、化粧を施してタジオを求め彷徨う姿は、哀れで悲しい。
そして伝染病に罹かり、化粧が醜く剥げ落ちた彼は海辺のデッキチェアで息絶える。

テーマ曲であるマーラーの五番・第四楽章とタジオ役のビョルン・アンドレセンが美しい。
映画が娯楽を超え、芸術の域に達したと思える作品である。

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posted by @せ at 17:05| Comment(1) | 映画だっ! | 更新情報をチェックする

異母兄弟

伊勢谷友介が山本寛斎と異母兄弟であることを告白したそうだ。伊勢谷は東京芸大の修士を出てるし、山本は世界的ファッションデザイナーだし、お父さんはかなりの芸術的センスを持っていた人に違いない。
さらに、結婚・離婚を何度も繰り返したという剛の者らしい。

『ハチミツとクローバー』で、伊勢谷が指に醤油をつけて龍の絵を描くシーンがあるが、たしかにうまい。
芸大が伊達でないことが分かった。




posted by @せ at 01:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする