厚い壁で区切られるということはあまりなく、
プライバシーはそういった頼りない境界によって守られていた。
部屋内を見えない、聞こえないものとして行動していた。
つまりそこに壁があるものとして振舞っていた。
これがかつての日本人のメンタリティーであり、美徳である。
欧米の合理主義にはこのような発想はないと思う。
全くの一室空間でありながら、境界が自然発生することもある。
例えば、『男はつらいよ』シリーズでタコ社長は、
‘とらや’の裏に自分の経営する印刷工場があるので、頻繁にやって来る。
しかし、上り框に腰はかけるが、座敷には上がらない。
そこは‘とらや’のプライベート空間だという認識があるからだ。
いくら親しくても越してはならない境界があるという心理的な仕切である。
目には見えない境界というのは確実に存在する。
この日本人特有の精神性を理解し探求出来れば、もっといい住まいを
設計出来るのではないかと思うのだが・・。

決して自ら座敷には上がらないタコ社長。